余部鉄橋 この鉄橋は、明治45年(1912年)に2年の歳月と33万余円 の巨費、延25万人の人夫を投じて完成されました。建築様式は トレッスル式で当時の鉄道院技師古川晴一氏等により米人技師 の意見を取り入れトレッスル(橋脚部分)の資材はアメリカより九州の門戸に送られ、3千トンの内地汽船に積替え明治43年8月余部沖でハシケに移し陸揚げされました。 エピソードとして、いつもなら荒れがちな日本海が材料取り卸しの間中ナギが続き無事に作業完了となり、 また、作業員には、当時としては2万円という巨額な保険がかけられていたそうです。 山陰本線建設では最大の難工事でありこの鉄橋の完成により 事実上の山陰本線の開通となりました。 高さ41、45メートル 長さ310、59メートルの規模は当時、東洋一 としてデビューしましたが、現在でもトレッスル式鉄橋では日本一の 規模を誇っています。 |