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復旧作業
昭和61年(1986年)12月28日日曜日午後1時25分頃
鉄橋を通過中の香住発浜坂行き回送列車が日本海からの突風にあおられ、機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃しました。

この列車は、団体臨時の和風列車「みやび」、山陰お買い物ツアーなどの一般客174人を乗せて午前9時26分に福知山駅を出発、11時49分香住駅に到着し乗客を降ろした後、浜坂駅に回送するため午後1時15分香住駅を出たあとの落下でした。
橋脚に残ったのは先頭のディーゼル機関車1両と客車の台車3組(1両半分)だけで、現場は約50メートルにわたってレールが曲がりまくら木もずたずたに。
この事故で山陰線は不通となり、直下の国道178号線も一時不通、電話回線も切断されたのか一部地域が一時不通の大惨事となりました。
鉄橋の向こう側に見えるのが、仰向けになって落ちた列車です。


散乱した現場工場があった場所です。落ちてきた列車はここにあった工場を直撃し、建物は跡形もなく壊れてしまいました。

客車内に居た車掌1名と加工場の従業員5名の計6名が死亡、客車内に居た日本食堂の従業員1名と加工場内の従業員5名、計6名が重症を負いました。
当時工場で働いていたのは12名、奇跡的に助かった人も心に大きなショックを受けています。民家の方は、半壊状態となりながら、けが人はありませんでした。

12月31日午後3時には山陰線はほぼ復旧し開通、国道178号線も同日午後6時開通。

分断された車両連日徹夜で撤去作業が続き、車両は分断されてクレーンで引き上げられトラックで神戸須磨区の国鉄鷹取工場へ移送されました。
事故当日は日本海を低気圧が発達しながら通過しており、最大風速25メートルを越す強風の荒れ模様でした。
風速25メートル以上の風が吹くと鉄橋付近に置かれている自動風速発信機から列車集中制御装置(CTC)司令室にデータが送られ列車を止める警報システムが設置されていました。

事故後、国鉄は風対策を強化、風速20メートル以上の風になると鉄橋手前で列車を停車させています。
その結果として、年間約300本以上が運行中止となっています。
現在、又今後も沢山の課題が残されたままの鉄橋及び山陰本線、人災事故といわれた国鉄も今はJRとなり、事故の教訓を生かした対策が施されているようです。


  慰霊観音像 

昭和63年10月23日、加工場のあった場所に聖観世音菩薩が建てられ、毎年12月28日には法要がいとなまれます。

地元民からも長い間、おそらく生まれた時から親しまれ、愛されつづけてきた鉄橋での思いがけない突然の事故に遺族の悲しみも多大なものだったと思います。
その思いがこの観音像にこめられているのでしょう。
いつ見てもお花が供えられていて、観光に来られたお客さんも立ち止まり手を合わせて合掌する姿が見られます。
その姿は、亡くなった方、遺族だけでなく町民・地元民の悲しみの心をも癒してくれているように思えます。



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